次の日、腫れの引いた顔で無事に撮影を終えた司は決着をつけるべく、姫宮やスタッフたちが宿泊している宿へと足を運んだ。
タクシーを待たせたまま、司は旅館の女将に姫宮の部屋まで案内してもらった。
姫宮は、四人部屋にいた―――。
いきなり現れた小河見司に、その場の四人はまるで幽霊でも見たかのように固まって黙り込んだ。
「―――これは、小河見くん・・・・?どうしたんですか、こんなところに・・・・なにか用ですか?」
漸くそのうちの一人が作り笑いを浮かべて訊いて来たが、司は無視した。
司の視界には、部屋の窓際に座り、司から目を背けてボードの手入れをしている姫宮の姿しか映ってはいない。
「―――姫宮、ちょっと・・・いいか?」
姫宮はピクリと反応して、手を止めると、ゆっくり司の方を向いた。
その顔は、困っているような、怒っているような複雑な表情で、司にはその真意を推し量ることはできなかった。
ただ、歓迎されていないことだけは確かである。
いつまでも黙っている姫宮に業を煮やし、司は部屋に入り込むと姫宮の腕を掴んで強引に外に引っ張り出した。
こんなにギャラリーがいては、さすがに突き飛ばすことはできないだろうという司の思惑通り、姫宮はしぶしぶながらも、おとなしく司に従った。
しかし、外に出た途端、司の手を思い切り振りほどいて言った。
「・・・殴ればいいだろ!それであいこだからな!」
「―――?・・・・」
司は一瞬なんのことか分からずポカンとしたが、殴られたことを司が根に持ってやり返しに来たのだと思っているということに気付いた。
裏を返せば、姫宮自身がずっとそのことを気にしていた、ということでもある。
司がいつまでもしょぼんとして黙っているので、姫宮の表情から少しずつ険しさが薄らいでいった。
「―――聞いたけど・・・監督にひどく叱られたんだって・・・・?」
「・・・・ん。まあ・・・」
「―――・・・」
姫宮はまるで自分が叱られたように俯いて黙り込んだ。
司は作り笑いをしながら言った。
「あ。いや・・・、俺はべつに気にしてないから・・・・大丈夫。今日からはちゃんと撮影に入れたし―――」
姫宮は、顔を上げて一瞬司の顔を見たが、またすぐに目を落とした。
「―――・・・悪かった」
「え―――・・・?」
姫宮の小さな声を聞き違えたかと思った司が思わず聞き返すと、姫宮は今度ははっきりと言った。
「悪かったよ・・・昨日は、ムキになって・・・。別に、司のことが本気で憎いわけじゃないんだ―――。ただ・・・どう接したらいいのか、分からなくて・・・」
「―――・・・」
「本当は、あの事は黙ってるつもりだったんだ・・・・。でも、お前があんまり暢気に俺を友達扱いするから、なんだかいたたまれなくなって・・・・つい―――。いろいろ言ったけど、役者としての小河見司の実力は、俺は認めてるから・・・。だから、お前の仕事に支障を来すようなことは、俺の本意じゃないんだ。昨日はどう考えても俺の方が、悪かった・・・あれから、ずっと気になってたんだ・・・殴っちゃったこと―――」
「―――・・・・」
司は茫然として、その言葉の一字一句を聞いていた。
―――憎んでない・・・・?認めてる・・・・・?俺を―――?
「―――姫宮・・・俺のこと・・・嫌いじゃない・・・?」
司が期待と不安の入り乱れる中、掠れる声でそう訊くと、姫宮は俯いた顔を微かに上げて司の顔を見つめた。
司は緊張で息すら出来ず、姫宮の形の良い唇から発せられる言葉を待った。
「―――・・・嫌いじゃない」
―――嫌いじゃない・・・・・
司は反芻して、その言葉を味わった・・・。
―――嫌いじゃないけど・・・好きでもない・・・・・ってことか・・・?
それは、あまりにも微妙すぎるニュアンスの言葉であり、喜ぶべきか、落胆すべきか、よく分からなかった・・・・。
―――そりゃ、憎まれるよりは100倍良いけれど・・・・。
「姫宮・・・嫌いじゃないなら、俺の部屋で話をしないか・・・・話くらい、聞いてくれるだろ?」
「―――それは・・・・」
姫宮は打って変わって警戒を含んだ逃げ腰の体勢に入る。
「―――なにも、しないよ俺・・・・ただゆっくり話がしたいだけなんだ」
「―――」
「だいたい、何もできないってば。力で姫宮に叶うわけないだろ?それはすでに証明されたわけだし・・・」
「―――・・・・」
姫宮は困ったようにちょっと眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
そんな姫宮の様子に、司はなんだか逆にそそられるモノを感じた。
「・・・ほんとに、もう絶対ヘンな冗談はやめろよ。俺も、もう殴るのは御免だから・・・・」
どうやら姫宮は、あのキスを単なる司の悪ふざけと思い込んでいるらしい。
「わかってるって。だからさ、いいだろ?」
「―――・・・・うん」
仕方なさげに頷く姫宮の表情を食い入るように見つめながら・・・
―――こんな行き場のない想いなんか、当たって砕け散ってしまえ・・・!!
とヤケクソ半分で思っていた。
姫宮が自分の本当の兄かどうかなど、司にとっては正直どうでも良い些細なことにすぎなかった。
人並みはずれた気むずかし屋の司が初めて心を開き、ここまで執着するのも、もしかしたら姫宮に自分と幾分同じ血が流れているせいなのかもしれない・・・。
部屋に招き入れた姫宮を、無理やり奥のリビングまで引っ張ってくると「ちょっと待ってて」と言い置き、絶対に誰も入って来ないようにドアに「DND(Do Not Disturb)」の札をかけた。
落ち着かない様子の姫宮を、とにかくソファに座らせると司は慣れない手つきで紅茶をいれて出した。
「―――ケーキ食う・・・?」
「―――・・・・そんなもん、あるのか?」
「なんでもあるよ、なに食いたい?」
「―――いや、いらない・・・それより―――話ってなに?」
「・・・まあ、急かすなよ、まず茶でも飲んでゆっくりと・・・」
司は慣れないながらも必死にもてなそうとするが、姫宮はさらに素っ気ない様子で口を開いた。
「悪いけど、そんなにゆっくりも出来ないんだ。明日帰るから、その準備とかしなくちゃいけないし―――」
司は仰天した。
「えっ!?帰る・・・・!?」
「―――俺の仕事は明日の午前中の撮影でおしまいなんだ。そしたらすぐにここを発たなきゃ―――・・・・」
「―――・・・・」
唖然とする司に、姫宮はさらに追い討ちをかけるように言った。
「今後は・・・いっさい会わないことにしような。万が一、俺たちの関係とか・・・小河見裕の過去・・・・あのことがマスコミにバレたら、まずいだろ?」
―――俺たちの関係・・・・
一瞬、司の胸が締め付けられるように疼いたが、関係=腹違い兄弟、という意味だとは分かっていた。
そんなことよりも、もう会わないことにする・・・とは、あまりに司の意思を無視した提案ではないか。
姫宮はそんな司の胸中などまったく気付いてもいない・・・
「―――最後だから、言っておくよ。お前のことはやっぱり兄弟とは思えないけど、でも・・・俳優としてのお前は、すごいと思ってる―――。これからは一ファンとして、応援してるから、自信もってずっと役者を頑張ってやっていって欲しい・・・。俺が言いたいのは、それだけだ―――」
「―――・・・・」
―――一ファン・・・・?
to be continued....